ナニモシナイからこそ、〇〇たこと

そのままの自分ではダメ、って思っているのは誰ですか?

春分の日は、沖縄の久高島にいました。
人工の音が全くしない、豊かな自然に満ちた島。

私ね、この地に降り立って、はじめて
「頭をからっぽにする」ことって、こういうことか。
と、わかりました。

島に降り立って、神様にご挨拶したとき、首と頭を引っこ抜かれた感覚がありました。
ズボッと、頭が取り外されて、
首から下の五感しかない、というイメージ。

他の人の体感を味わったことがないので比べようがないのですが
どうやら私は、頭の中が常に忙しい状態。
考え事が止まらない。
眠っている間も常に脳内スクリーンに映画のようなドラマが展開。

*これが私のヒューマンデザインによるボディーグラフ。上から二つのセンターが定義づけされていて「頭の中が忙しい」状態。この力は、他者のために使う。

そんな私が、頭からっぽ、な時間を過ごすことができました。

スピリチュアルなガイドをしてくれた良恵さんと、
一緒に旅してくれたIWCの仲間のおかげです。

頭がからっぽになると、体が緩むんだ。
海にプカーっと浮かぶためには、体中の力を抜いて水に体をあずけるんだ。

海に入ったこと自体、何年振りか思い出せないぐらいです。
海のそばに行っても、足を水につけることすらしてきませんでした。

なぜ?

そう、それは思考が勝っていたから。

「塩水はべたべたするから」とか
「水着を着ていないから」とか
「足を冷やしたら風邪をひく」とか
「そもそもそんなに興味がない」とか。

それ、全部、ウソでした。
ウソ、っていうか「ガマン」でした。

欲しがっているのに、あげなかった。
やろうと思えば、すぐにできたことになのに。

なんでそうなっちゃってたか、といえば、おそらく

やりたくないことばかり、やらせていた。
イヤな場から逃げることを、させてあげなかった。
自分の感情を表現しないで、なかったことにしていた。
そういうことなんだな、と。

前向きにポジティブに挑戦している自分、って思ってたけど
勝てない戦ならしたくないし
叶わない夢を追いかけて傷つきたくないから

「その時の感情」を出すことをしなかった。

そういう時間を重ねると、こじれるわけです。
自分自身が何が嬉しいか、何が辛いのか
わからなくなっていくのね。

思考でこじつけて納得させようとしていたこと
すべてが
ばかな努力だなあ、と。
いらない苦労だなあ、と。

体で感じることができた、島での体験でした。

「ナニモシナイ」をしにいくことは、私にとっては恐怖でした。
だって、ナニモシナイ自分には、価値がないと思っていたから。

価値がある人間でありたかったから。

でもさ、価値って何?
誰に認められたいの?

そんな、根源的なことを感じてきた旅なのです。

自分が自分を大切にしてこなかったし
自分が自分の大好きや幸せを「つまらないこと」だとジャッジしていた。

他者から批判されたからではなく
私は私の良さを、自分で否定していたのだと。

そのままの自分ではダメ、って思っているのは誰ですか?
「そのままの自分でいい」になったらどんな気分ですか?

否定することが楽しいならいいけど。
否定されていることが辛かったから、もがいていたのに。
なんでまた、わざわざ、辛いことをしていたのかと。

自分に、あきれてしまうのです。
旅をして受け取ってきたものが、たくさんあります。

少しずつ、お伝えしていきますね。

いろんな場をデザインしています。

気になるものがあればお越しください。

わかちあえたら、嬉しいです。

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